私の仕事人生は、うまくいかなかったことだらけだった。
新卒で入った会社は、漠然と「好きな家具が扱えるから」という理由で選んだ。
念願のインテリアの部署で家具の商品企画になり、新人なのに海外出張にも行かせてもらえるくらいチャンスをもらえた。
なのに、私はそのチャンスを活かせなかった。
- 仕事の基礎がまったく身についていなかった
- 会社の教育体制もほぼなし
- 上司は派閥争いに夢中、先輩は悪口ばかり
- どう頑張ればいいのかわからないまま、長時間労働に追われた
「会社に行きたくない」「泣いて過ごす日々」
そんな状態で、遠距離恋愛中だった夫(当時は彼氏)と同棲。
新幹線通勤も試したけど、費用が高すぎて「何のために働いてるの?」とさらに絶望した。
一番怖かったのは、自分が企画した商品の売上結果を部署で詰められること。
結果が出せなかった自分を責め続けた。
そして、適応障害のような症状(涙が止まらない、短期記憶の低下、常に憂鬱)が出始めた。
最終的に「結婚」を理由にして、逃げるように退職した。
「専業主婦」になってみた。
適応障害のような状態から、病院にも行かずに引きこもり専業主婦。
夫に申し訳ないくらい何もできなくて、布団の中で逃げた自分を責め続けていた。
「夫が助けてくれるから生活はできる。でも、なんかモヤモヤする。」
でも、結婚式の準備を始めたころ、とにかく楽しくて元気になってきた。
「そろそろバイトしたい」と思うようになり、短期の浴衣販売のバイトをきっかけに、リサイクル着物屋でパートを始めた。
パートとして働くのは楽しかった。でも…お金が足りない。
- バス代や外食費を時給換算して「もったいない」と感じる生活
- 夫の稼ぎで生活できるけど、貯金したい気持ちが強くてケチになってしまう
- 大学まで出て、子どももいないのにパート…?と自分の未来に不安を感じる
「このままでいいの?」という気持ちが強くなり、転職を決意した。
転職して、仕事はうまくいくはずだった。
28歳、できれば事務職でゆるく働きたかった。
でも、転職エージェントに「経歴的に無理」と言われる。
「選択肢がない…!」
結局、企画職で採用してくれた今の会社へ転職。
「ちゃんと評価してくれる!いい会社に出会えた!」と感動した。
働いてみて、この会社は本当に良いことに気づいた。
✔ 「仕事とは?」をしっかり教えてくれる
✔ 無駄な仕事が少ない
✔ 悪口を言う人がいない
✔ 尊敬できる人が出世する
✔ 育ちの良い人が多く、ギスギスしていない
「今度こそ、私はうまく働ける!」と思っていた。
でも、やっぱり私は仕事が向いていなかった
仕事を頑張れば頑張るほど、管理職に近づくほど、「自分のできなさ」に直面した。
✔ 管理職を目指すには、愚直に頑張るだけじゃダメだった
✔ 「勘所を押さえて、息をするように努力できる人」と「強迫観念で頑張る私」の違いがつらい
✔ 評価されると嬉しい反面、「いつか化けの皮が剥がれる」とおびえていた
休みの日も仕事のことばかり考えてしまう。
「つい考えちゃう」じゃなくて、「不安と焦りでできない自分を責め続ける」 状態。
1年以上、そんな状態が続き、ついに限界。
また適応障害になり、今度は上司が「病院に行け」と言ってくれて休職した。
3か月休んで、「もう辞めたい」と思っていたけど、上司が「元気になってから辞めろ」と言ってくれた。
結果、平社員に戻って部署も変えて再スタートすることに。
仕事から逃げても、満足できなければ意味がない。だからサイドFIREを選んだ
休職を経て、ちょっと冷静になれた。
✔ 「このまま逃げても、新しい職場でやり直すのも結構大変。」
✔ 「今の経歴だと、バリバリ働く仕事以外では採用されにくい。」
✔ 「給料は下がるだろうし、維持するならもっと頑張らないといけない。」
でも、それは嫌だった。
だから、ただ「仕事がつらいから辞める!」じゃなく、「辞めても満足できる状態にして辞める!」ことを考えた。
逃げたところで、お金がないと「結局不自由で後悔する」と知っている。
だからこそ、「どうすれば辞めても後悔しないか?」を考えた。
その答えが「サイドFIRE」だった。
仕事が苦手な私でも、お金の力で自由になれるかもしれない!
ここから、私はサイドFIREを本気で目指すことにした。
サイドFIREを本気目指すことにして最初にやったこと。それを次の記事で書いてみます。
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